アルツハイマー病

認知症、物忘れだけでは診断されない
里直行、綿田裕孝
http://www.asahi.com/articles/SDI201512225936.html?iref=com_apitop



20世紀の半ば、
薬では治すことのできないほどの重いてんかんを治療するために、
責任病巣部位(病気を起こしていると思われる場所)の摘出手術を受けたカナダの患者
HMさんという方が、手術後に「新しい情報を記憶する力」を失ったことが報告されました。
HMさんの場合、摘出したのが両側の海馬だったことから、
海馬がこの記憶の形成に重要な役割をすることが最初に発見されました


代表的な認知症アルツハイマー病では、
この海馬に最初に萎縮が起こっていることが、
MRI(核磁気共鳴を用いた脳画像検査)によってしばしば確認されます(図)。


そして、アルツハイマー病における最初の症状は記銘力の障害です。
最近、新聞やテレビなどでよく耳にする言葉
「軽度認知機能障害=mild cognitive impairment, MCI」は
記銘力障害のみの段階で、アルツハイマー病の前段階と考えられます。


アルツハイマー病の患者さんは、
新しく物事を記憶することが出来なくなっている一方、
昔の記憶(たとえば通っていた小学校の名前など)は思い出すことができます。
なぜでしょうか? 
それは昔の記憶は海馬ではなく、大脳皮質のどこかに保持されている
(神経のネットワークとして)からだと考えられています。


ただ、アルツハイマー病では、発症初期においては記銘力障害のみですが、
「失行」、「失認」、「失語」、「遂行機能障害」のうち
少なくとも一つを示すようになります。


では、失行、失認、失語、遂行機能障害とはどういう症状なのか。
簡単に説明していきましょう。


まず、失行とはものの使い方がわからない、うまく使えないという症状です。
道具の使い方が分からなくなったり、服を自分でうまく着られなくなったりします
(例えば、服を裏返しに着てしまいます)。


次に失認とは顔や場所の認識ができなくなることです。
家族の顔を見ても誰か分からない(孫の顔がわからないなど)。
自宅の中など慣れた場所でも迷ってしまいます。


失語とは文字通り、ものの名前がわからなくなることです。
例えば、ボールペンを示しても、「ボールペン」という名称が思い出せません。
またものの名前が出にくくなるため、「あれ」「それ」といった指示語が多くなり、
話もまわりくどくなります。


最後に、遂行機能障害とは段取りの必要な作業を行えなくなることです。
計画を立て、段取り良く仕事をすることが出来なくなる。
たとえば料理がうまく出来なくなくなり、味付けも変わってしまいます。
おみそ汁をつくるにもまず、大根や油揚げを切って…という段取りが出来なくなります。


このように症状が進むことは、脳で起こる異変も海馬に限られた段階から、
側頭葉や頭頂葉といったより広い部位へと広がりつつあることを示しています。
年月がたっても症状が記銘力障害だけであまり進行しない場合や、
記銘力障害が軽減する場合は、生理的な物忘れや、
この連載でのちに述べます神経原線維変化型認知症などと判断されます。


アルツハイマー病は、1900年代初頭に
精神病理学者であったアロイス・アルツハイマーによって最初に症例報告がなされました。


患者さんはアウグステさんという50代前半の女性でした。
アルツハイマー博士は病理学者でありましたから、
彼女の死後に脳を解剖して調べたところ、
海馬や側頭葉を中心とした脳の萎縮を認め、
さらに顕微鏡で脳の切片を観察したところ、
神経細胞にたまる老人斑という脳のしみや、
神経細胞の中に糸くずのようなものがたまる
「神経原線維変化」という現象があるのを見いだし、
また神経細胞が死んでいることを確認しました。
神経原線維変化という構造物を発見したのは、アルツハイマー博士が最初です。


●「元凶?」の発見
博士の報告から約80年後の1984年、老人斑に沈着している
「βアミロイド」というペプチド(アミノ酸がくっついてできた物質)が
グレンナー博士によって発見されました。


このペプチドのアミノ酸配列を手がかりに、
βアミロイドのもととなる「アミロイド前駆体たんぱく質」の遺伝子が解明されました。
さらに1991年にはアリソン・ゴアテ博士により、
病気の因子が子どもに受け継がれることがある家族性アルツハイマー病の家系で、
アミロイド前駆体たんぱくの遺伝子変異が報告されました。
つまり、この遺伝子変異が家族性アルツハイマー病の原因である可能性が指摘されたのです。


それまで、この老人斑に蓄積するβアミロイドは、
アルツハイマー病を起こす原因なのか、
アルツハイマー病が起きた結果として蓄積しているのか、わかっていませんでした。
この発見によって、アルツハイマー病は家族性以外においても、
βアミロイドがたまることで起こるとする「アミロイド・カスケード仮説」が
提唱されるようになったのです。


そして、病気の「元凶」であるはずのβアミロイドをやっつければ、
病気の根本的な治療につながるのではないかと考えられたのです。
いま、この仮説をもとにした治療薬
(疾患修飾薬=disease-modifying drugとも呼ばれます)が次々と開発されています