リスボン~バルセロナ
1998年8月10日 リスボン~
アムステルダムで1泊して、昼の12時半にリスボン空港に到着した。
今日中にポルトガル南部の町ファーロに行きたかった。
普通の旅行者なら、まずリスボンに泊まって
ゆっくり観光してから移動するだろう。
しかし、その時、僕にそんな余裕はなかった。
急いでいる理由はこうだ。
何も考えずにこの旅の終点はバルセロナと決めて、
8月15日午前の便で日本に帰る切符を買ってしまった。
だから14日の夜はバルセロナに泊まっていたい。
飛行機の中でガイドブックを読んで
リスボンからバルセロナまでの距離は地図上で約1500kmもあり
実質、今日を含めて5日間で走破しなければならない
ということに気づきあせっていたのだ。
リスボンのバスターミナルは混雑していた。
切符売場に英語表示はなく、すべてポルトガル語だ。
bilheteが「切符」だとわかるまでに時間がかかった。
最初並んでいたのは国際線の切符売場で
国内線の切符売場は別のところだとわかり、
また並び直したりして時間を消耗した。
国内線も行列になっている。
やっとのことで窓口にたどり着き係員にファーロ行きを申し込む。
18時発のバスは満員で19時半発なら空いているよ、と言うので
深く考えずにそれを買った。
バックパックを降ろしてベンチで一休みする。
汗だくになっていた。
時計を見ると14時。発車まで5時間もある。
バスはファーロに何時に着くのかと調べてみると深夜だ。
ファーロという町がいくら田舎町だといっても、
深夜に着くのは無謀ではないか。不安になる。
鉄道はどうか。
鉄道の時刻表を調べてみると22時にファーロに着く列車がある。
だが、ファーロ行きの列車は1日に数本しかないために
満員で切符が買えない可能性がある。
また、始発駅のバレイロはテージョ川という大きな川の向こうにあり、
船に乗って行かねばならない。
バレイロ駅に行ってしまったら後戻りは困難だ。
しばらく考えた結果、バスをやめて鉄道駅に行ってみることにした。
列車の切符がとれなければ、リスボンに泊まれば良いと覚悟を決める。
行列に戻って、切符の払い戻しを願い出たが、あっさり断られる。
2200エスクード(1800円)のバス代が無駄になった。
タクシーに乗り南下、リスボン駅に着いた。
そこから30分かけてテージョ川を船で渡るとバレイロ駅だ。
テージョ川
18時半発の切符を難なくゲット。終点ファーロに22時に着く予定。
ひと安心してバーで生ビールを飲む。うまい。
ビールを飲んでいると「コーラをおごってくれ」と子供が寄ってきた。
改札口がないので駅構内は子供の遊び場になっているようだ。
子供が僕のまわりに寄ってくる。
英語は全く通じない。
さて、ファーロのホテルの予約をしたい。
公衆電話を使ってみる。
ガイドブックに掲載されているホテルに電話をかける。
1軒目のホテルに電話が通じたが、コンプリート(満室)だと断られた。
2,3軒目も同じ返事だ。
4軒目の「アラメーダ」に予約できた。
ところでこちらの公衆電話はお釣りが出る。
日本の公衆電話はボッタクリだということに気づく。
定刻を30分遅れて19時に列車は発車した。
海沿いを南下する。ヨーロッパの夏は日が長い。
右側の車窓から西日が差し込んで眩しい。
海を見ていく旅が今回のテーマだが不覚に僕は眠り込んでしまった。
22時半に終点のファーロに着いた時には
さすがに夜の帷がおりていた。
Residencial ALAMEDA
先ほど電話で応対した女性は「8000エスクード」と言っていたが
フロントの爺さんは頼みもしないのに「7000でおます」と言う。
ぼけているのか?
あるいはさっきの電話予約は成立しておらず
たまたま部屋が空いていただけか?
英語が通じないためわからないが、いずれにしても宿が確保できた。
ビールを頼むと爺さんは小瓶のビールを持ってきてくれた。
「サグレス」と書いてある。
これは「深夜特急」の中で沢木耕太郎がサグレス岬で飲んだビールだ。
あまり冷えていなかったがうまかった。
ビール代は100エスクード(82円)だと爺さんは言う。
コインはたくさん持っていたが、どのコインがいくらなのかまだ把握していない。
僕はポケットからコインを出して、机にジャラッと広げる。
爺さんはオッと声をあげ、その中から最大のコインを選んで
まじまじと見入っていた。
どうやら何かの記念コインだったようだ。
どこでもらったのかは記憶にない。
立て続けにサグレスビールを2本飲んでその晩は熟睡。
8月11日 ファーロ~
今日は国境越えのイベントがあるが、その情報を持っていない。
リスボンでゆっくりできなかったのは、ここで時間がかかると考えたためである。
国境方向の列車が昼からしかないので
午前中はテラスカフェでゆっくり朝食をとり
海岸に行ったりして過ごした。
ファーロ駅
13時にファーロ駅を出発して
14時半に終着駅のビラ・リアル・サン・アントニオ駅に着いた。
寂れた小さな駅だ。最果ての村に来た感じがする。
セビーリャ行きのバスがあると予想していたのだが、
バス停が無い。
タクシーも無い。インフォメーションも無い。
さて、どうすれば良いのか。
大勢の白人バックパッカー達が南方向にゾロゾロ歩き出したのでついて行く。。
彼らはマットと毛布をバックパックに積んでいる。
野宿も辞さない構えだ。
いや、むしろ野宿が主体でホテルには泊まらないのかも知れない。
バックパッカー達の進路はやがて西向きになった。
スペインの方向だ。
その時、偶然向こう側から歩いてきた日本人旅行者と遭遇。
彼によるとこの先には川があり、橋を歩いて渡ってきた。
それが国境だが、何の検閲もない。
対岸にはアヤモンテと言う町があり
そこまでウエルバという町からバスで来たと言う。
15分ほど歩くとバスターミナルがあり
セビーリャ行きの切符売場が行列になっている。
僕もつられて買いそうになったが
聞いてみるとバスの発車時刻まで2時間以上ある。
そんなに待てない。
彼が言っていた橋を歩いて渡ろうと思い
国境のグアディアナ川を見に行った。
なるほど国境にふさわしい大きな川だ。
その橋は北側の遙か遠くに霞んで見えた。かなり遠い。
グアディアナ川にかかる橋(遠いので霞んで見える)
あそこまで歩いていくには気合いがいるなと思っていると、
フェリー乗り場を発見。15分後に出るという。
対岸から船が到着すると大勢の人が船から降りてきた。船に乗り込む。
パスポートチェックもなく対岸の町アヤモンテに着いた。
ビラ・リアル・サン・アントニオと違って活気があるきれいな町だ。
スペインに入ったので、時計を1時間進める。損した気分だ。
バスに乗るためにはまずスペインの金がいる。
ATMがすぐに見つかり1万ペセタ引き出す。※1ペセタ=約1円
ウエルバ行きのバス乗り場はどこかと人に聞きまくる。
あいかわらず英語は通じないのでバスの絵を描いて見せる。
「ありがとう」の言葉を「オブリガード」から「グラシアス」に切り替える。
バスターミナルにたどり着くまで30分くらい歩きまわった。
汗だくになっていた。
Estasion De Autobus
バスターミナルの切符売り場で、まわりの人が
「ウエルバ行きのバスがすぐに出るよ」と教えてくれる。
急いで切符を買ってバスに乗り込もうとすると
運転手にバックパックをつかまれた。
「バックパックは下の荷物入れに入れんかい」と注意され
行ってみるとそこはバックパックで満杯になっていた。
そこに自分のバックパックをねじ込んで座席に着く。
バスの空調は最高で、椅子もゆったりしている。
道路も広く信号も少ない。バスの旅も良い。
1時間でウエルバに着いた。
そこの両替所でエスクードをすべてペセタに換える。
穴あきコインを発見、25ペセタだ。
穴あきコインがあるのは日本だけかと思っていた。
そこからセビーリャ行きのバスに乗る。
高速道路のまわりには広大なヒマワリ畑が延々と続くが、
すでに花は枯れている。そろそろ種の収穫時期のようだ。
20時にセビーリャのターミナルに着いた。まだ明るい。
サンタクルス街まで南下して
エアコン完備のホテルシモンに決めた。
シャワーを浴びて、ロビーの自販機に100ペセタを投入、
赤ラベルのビールを買い一気に飲み干す。最高だ。
ビールを立て続けに3本飲んだら、食欲がわいてきた。
近所の揚げ物屋に行って白身魚のフライを注文すると、
店のおばさんが画用紙をメガホンのようにして
そこにイカやエビなどの海産物のフライを混ぜて
山盛りに詰め込んでくれた。
この地方の名物料理のようだ。
8月12日 セビーリャ~
早朝、セビーリャのカテドラル(教会)を見物してから、
駅に向かった。9時発コルドバ行きのAVE(特急)の切符を買う。
AVEの時刻表を見ると
わずか2時間でマドリッドまで行けることがわかる。
終点をマドリッドにすれば、ゆっくり観光することができただろう。
40分後コルドバ駅に着いてアリカンテ行きの時刻表をもらう。
アリカンテはかなり遠いが、
なんとか今日中にそこへ行けることがわかった。
切符を申し込むと、乗換駅のアルバセーテまでの切符しか発行してくれず、
そこからアリカンテまでの切符は、アルバセーテで買ってくれと言われた。
アルバセーテで1時間待って、列車に1時間半乗ればアリカンテだ。
ガイドブックによると、アリカンテは海沿いの町でかなり良さそうだ。
日本人は皆無だろう。
アリカンテに行けるとわかった時点で苦しい旅は終わった。
今日はアリカンテで1泊。
明日は列車に3,4時間乗ってバレンシアで1泊。
あさっても列車に3,4時間乗ってバルセロナ。
これでゴールだ。
張りつめていた気持ちが一気に解放された。
列車のモニターでビデオを上映していた。
Mr.ビーンはそこで初めて見た。
Mr.ビーンが歯医者の予約時間に遅れそうになっていて、
あわてているという内容だった。
それがおかしくて思わず声を出して笑っていた。
5時間後の16時、アルバセーテ駅に着き、
切符売り場でアリカンテ行きの切符を申し込むと
予定していた列車は満員で2時間後のなら乗れると言う。
ここに来てまた「コンプリート」だ。
精神的ショックが大きい。体も疲れている。
小さなインフォーメーションでバスがないか聞いてみたがないと言う。
ガイドブックに掲載されているアリカンテのホテル4軒に
電話してみた。すべて「コンプリート」だ。
アリカンテは田舎だがこの季節はリゾート地だろう。
2時間待って列車に乗り19時半からの宿探しは辛そうだ。
夏の伊豆に飛び込みで行くようなものだ。
アリカンテをあきらめて行き先をバレンシアに変更。
数時間列車に乗り、バレンシアに着いた。
バレンシアはオレンジ畑の田舎町だと思いこんでいたが、大都市だ。
バレンシア駅前
ホテルを決めた時点で苦しい旅は終わりだと言えた。
シャワーを浴び、一服してからフロントのお姉さんに
パエーリャのうまい店を教えてもらい行ってみた。
その店は貝類やエビの生け簀のある高級店。
パエーリャは2人前からだと言われあきらめてヒラメを注文した。
ウェイターが「サラダも、食え」と薦めるのでそれも頼んだ。
まずサラダが大量に出てきた。
そのあとウェイターが焼きヒラメを持ってきて
スプーン2本で器用に骨を取り除いて見せてくれた。
腹がいっぱいになって食べきれずにチップを置いて店を出る。
腹ごなしにミゲレテの塔を見に行く。
その背景の空は暮れかかって、明るいコバルトブルーを呈していた。
こんなに印象的な深く青い空はかつて見たことがない。
スクバーダイビングで天気の良い日に深いところから
水面を見上げた時の青に似ている。
8月13日 バレンシア~
AM9時発のバルセロナ行き列車に乗る。
バルセロナまで海を見ていくというのがメインイベントのはずだったが
ほとんど海は見えない。
乗ってから1時間半後、ようやく穏やかな地中海が見え始めた。
バルセロナまで1時間手前のタラゴナという海辺の街で降りる。
大きなビーチに海水浴客が大勢いるのが見えた。
まだ11時だからリゾート地であっても
1人ぐらいの空き部屋がある可能性を信じて
数軒のホテルにアタックしたがすべて冷たく断られた。
(人種差別があったのかもしれない)
真昼の太陽の下でのホテル探しは辛く、早めにあきらめた。
バルセロナ行きの列車に乗る。
14時半にバルセロナサンツ駅に着き、駅構内の4つ星ホテルに決めた。
広いバスタブに身を沈める。
ビールを呷ってベッドに倒れ込む。
8月14日 バルセロナ
このホテルは駅構内にあるので便利だ。
コンビニや大衆レストランなどが充実している。
しかしバルセロナは物価が高い。
ビールはセビーリャで100ペセタだったが、ここでは175だ。
スペイン語のボキャブラリーが少しずつ増えてきて、
人に道を尋ねたり、ご飯を食べる時、
単語だけだが意志表示が少しずつできるようになり面白くなってきた。
ガウディのサグラダファミリアはいまだに建設途中で入場料が
建設費にあてられているのだそうだ。
朝一番で着いたが、エレベーターが動いておらず、塔を階段で登る。
途中で景色は見えるが一番上は行き止まりだ。
一気に疲れた。
次にピカソ美術館に行く。ピカソはマラガで生まれ、
この街で少年期を過ごした後、パリに出たそうだ。
青の時代が終わると、夥しい数の裸婦のイラスト画が続く。
地下鉄を駆使してコロンブス像、ラブラス通り、グラシア通り、
グリア公園、ミロ美術館とひととおり観光。
右にいるのは犬です
大道芸人
街にはミニスカートの美人があふれている。スタイルも良く、胸も大きい。
ここで見る白人女性の50%以上は美人と言えるのではないだろうか。
8月15日 空港
アムステルダムから、初老の日本人夫婦が隣の席に座った。
イタリアへ団体旅行で行って来たと言うご夫婦は、
結局は日本人を見に行ったようなものだ、とこぼしていた。
僕の旅ではどうだったかと聞かれて困った。
ほとんど観光していないし、たいしたものも食べていない。
ただ、たくさんの人々に親切にしてもらって
無事に旅を終了することができた。
そうだ、これはバルセロナをゴールと決めた
すごろくゲームだったのだ。
「ろくに観光もせずに、ただここからここまで移動したのですよ。」と、
僕はご夫婦に落書きだらけの鉄道路線図のコピーを見せて説明した。
その地図を見ながら、
次はバルセロナからニースあたりまで
フランスの田舎町を地中海沿いに行きたいと思った。