スコットランド独立投票

無関心ではいられない スコットランド独立投票
http://www.nikkei.com/money/features/32.aspx?g=DGXNASFK1003J_11062014000000



スコットランドが9月18日、英国からの独立の是非に関する住民投票を実施する。
日本での注目度は低いが、この住民投票の結果は英国はもちろん、
欧州全域や世界に大きなインパクトを与える可能性がある。


外務省のホームページを見ても「英国」と記載されており、
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」と注釈が付いている。
日本語では「連合王国」、英語では「United Kingdom」とするのが一般的だ。


連合王国とは
イングランド
スコットランド
ウェールズ
北アイルランドという4つの国の連合体だ。


歴史を振り返れば人口や経済力、武力で勝るイングランド
周辺の3国を徐々に合併・吸収し、
イングランドが支配する連合王国という箱」に詰め込んだというのが実情だろう。


イングランドは以下の3つのステップで連合王国をつくりあげた。
(1)1289年、ウェールズ地方に州制度を敷き、1536年に正式統合
(2)1603年、スコットランドとの間に同君同盟を形成。
   1707年スコットランド合併法により、グレートブリテン王国
(3)1801年、アイルランド合併法により現在の
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」が成立


イングランドは得意技の外交戦略を駆使して国土を拡大したともいえるが、
冷静沈着でフェアな話し合いで解決したわけではない。
時には武力を行使し、力ずくで支配下においた面は否めない。
このような歴史をイングランドに併合された3つの国は忘れていない。


例えばアイルランド
現在のアイルランド共和国にあたるアイルランド自由国は1922年に独立した。
その際アイルランド北部6州(北アイルランド)は連合王国にとどまったものの、
ひと昔前まで武装集団アイルランド共和軍(IRA)による爆弾テロが
ロンドンで頻発していたことは記憶に新しい。
そして今、スコットランドが立ち上がり始めた。
グレートブリテン島の北部3分の1を占める連合王国の大国スコットランドは、
決して侮れない強力な国家だ。
歴史や文化、経済の厚みもイングランドと遜色なく、多くの著名人も輩出している。
例えば経済学者アダム・スミス
シャーロック・ホームズ」の生みの親コナン・ドイル
俳優のショーン・コネリー
英元首相のトニー・ブレアスコットランドがルーツだ。


第2次大戦後、英国が世界の覇権国家の座から滑り落ち
衰退の道をたどり始めてからスコットランドの独立機運は高まった。
世界を制覇する大英帝国の枠組みの中で繁栄するうまみが薄れたともいえ、
下品な言い方をすれば「カネの切れ目が縁の切れ目」にもなった。


連合王国に併合されて以来、スコットランド
民族自決」を目指して水面下で黙々と準備を重ねてきた。
イングランドスコットランドのガス抜きのため段階的に譲歩し、権限委譲してきた。
スコットランドは100年を超える激しい駆け引き交渉を経て、
1997年のブレア政権で自治議会設置を要求。
1999年にスコットランド議会が復活した。
議会の多数派を占める政権与党はスコットランド民族党であり、
保守党や労働党を圧倒している。


スコットランドにとって議会復活は大きな転機だった。
私は当時ロンドンにいたが、ブレア政権は
連合王国のフレームを堅持するうえで、
スコットランド自治願望を満たすことが目的だ」と説明。
私の周囲のイングランド人もほとんど関心を示さなかった。
だが議会の再生と運営を通じ、相当数のスコットランド人は自らのプライドを取り戻し、
独立への自信を得たように感じる。


経済的な背景としては、1960年代に北海油田が発見されたことも大きかった。
欧州随一の埋蔵量とされる石油・ガス資源を開発するため、
スコットランドは先端的な技術も備えてきた。


ある地政学者は
スコットランド分離独立が可決されれば、
北アイルランドウェールズにも飛び火するだろう」と話す。
それどころか、例えばスペインのバスク地方など
連合王国以外の地域が立ち上がる可能性もあるとみる。
「欧州の歴史は古いが、現在の国境線が確定されたのは最近の話。
民族国家間の国境構造はいまだ脆弱だ」との分析だ。