揺らぐ基軸通貨ドル
http://mainichi.jp/life/money/news/20110814k0000e020023000c.html
新興国台頭、世界地図に変化
第二次大戦後の世界経済は、世界で唯一金と交換できるドルと
各国通貨が固定レートで結ばれるブレトンウッズ体制の下で安定的な成長を続けた。
だが日独の輸出急増やベトナム戦争の長期化に伴い
米国は貿易赤字の拡大やインフレに直面。
金保有高が激減し、ニクソン大統領が1971年に金とドル交換の一時停止を表明し
1ドル=360円の固定為替相場制は崩壊。
12月に308円で仕切り直しを図ったがドル売り圧力は強く
1973年に円相場は再び変動相場制に追い込まれた。
ドル安の流れを決定づけたのが
1985年に日米欧の先進5カ国(G5)が
ドル売り協調介入に踏み切った「プラザ合意」だ。
レーガン政権下で財政・経常の「双子の赤字」に苦しんだ米国は
ドル切り下げによる経済回復を志向したのだ。
その後、円高は一貫して進行し、99年には欧州の単一通貨ユーロが誕生。
さらに中国など新興国が台頭し、米国とドルの地位低下は続いた。
現在でも、ドルは依然として世界の外貨準備の約6割を占め
「国際間の決済の中核という意味で基軸通貨の地位を占める」(財務省幹部)。
だが、米同時多発テロへの対策やリーマン・ショック後の経済対策で米国の財政赤字は膨張。
最近はドル売りや景気失速懸念も加わり、米格付け会社は今月5日、初めて米国債を引き下げた。
財政赤字の悪化でドル売りが止まらない構図は、ニクソン・ショックの当時と重なる。
それでも、ユーロは、域内各国の財政不安で、投資家の信認が低下。
また、経済成長が著しい中国の人民元も管理相場に置かれたままで
ドルの代役にほど遠い状況。
当面「ドルに代わりうる通貨が存在しない」(内海孚元財務官)との見方は強い。
ただ、「米国は自国の利益を優先させている」との新興国側の批判もくすぶる。
景気下支えのため、10年11月に金融の量的緩和を行った結果
膨張したドル資金が新興国や商品市場に流入し、新興国の通貨高やインフレを招いたためだ。
浜矩子同志社大教授は
「基軸通貨国は、他国の繁栄も考え世界の経済運営をすべきだが
米国は自国利益優先でその役割を果たしていない」と指摘する。
各国が米国に対抗して、自国通貨高を防ぐための介入や
資本規制に踏み切る「通貨安競争」が再び起これば
貿易縮小と世界的な景気悪化の悪循環に陥りかねない。
リーダーなき世界経済秩序とともに、ドルの先行きもまた見えづらい。
ニクソン・ショック
1971年8月、ニクソン大統領がテレビ演説で発表したドル防衛策。
金・ドルの交換の一時停止
10%の輸入課徴金
賃金と物価の90日間凍結
連邦支出の削減−−など8項目からなり
失業やインフレ、国際的通貨投機克服が目標とされた。
当時、ベトナム戦争の戦費で米国の財政赤字は拡大しており
ニクソン大統領は「経済的に強力になった以上、世界の自由を防衛する重荷の
正当な分担を引き受ける時がきた」と日本などに応分の負担を求めた。
これを受け、東京市場にはドル売りが殺到。
日米欧は同年12月にドルを切り下げた新たな通貨交換レートを定めるなど
固定相場維持を図ったが、ドル売りの激化のため
1973年3月までに、相次いで変動相場に移行した。