カエサルの困った持病

《6》 カエサルの困った持病
カエサル(紀元前100〜紀元前44年)
早川智 (はやかわ・さとし)先生
http://apital.asahi.com/article/history/2013011100013.html



イタリアの3月は雨が多く、特に3月15日は天気の悪い特異日とされる。
この日はカエサル(Gaius Julius Caesar)の命日である。


紀元前100年、カエサルは同名の父と母アウレリアの間に生まれた。
生家はローマの名門貴族だったが民衆派に近く
閥族派独裁官ルキウス・コルネリウス・スッラに睨まれて亡命するなど
青年期は不遇だった。


スッラの死後頭角を現し、最高神祇官、法務官と順調に出世を遂げると
40歳でオリエントの凱旋将軍ポンペイウス、スッラの後継者クラッススとともに
三頭政治を結成、コンスル(最高執政官)に選任される。


その後ガリアの属州総督として、海を越えブリタニアまでを征服し
紀元前52年には全ガリアを平定。
しかし、この功に対し元老院ポンペイウスは総督解任と本国召還を命じる。
カエサルは応じず「賽は投げられた」とルビコン川を越えてローマへ進攻
内戦に突入する。


ポンペイウスを追ってエジプトに乗り込むと当地の政争に介入
クレオパトラを女王にし、北アフリカで抵抗を続けていた共和派の残党を討ち果たすと
華々しくローマに凱旋、市民は彼を熱狂的に迎えたのだった。


帝政を思い描くカエサルは終身独裁官に就任し、権力を一身に集める。
しかし、これに危機感を覚えた共和主義者たちに暗殺される。
最期の言葉はかの有名な「ブルータスお前もか」。


◆神聖な病気
政治・軍事・文筆の才に加えて、豊かな人間味で
軍や人民に絶大な人気を誇ったカエサルには、困った持病があった。


スエトニウスは『ローマ皇帝伝』で
「晩年のカエサルは突然意識を失うことがあり
全身の痙攣発作が2回あった」としている。


プルタークの『英雄伝』には
「最初の発作はコルドヴァで起きた」
「タルソスの戦いの時にはカエサルは陣中で指揮を執っていたが
発作の前兆を感じて馬をおり、病が過ぎるまで付近の塔の中で休んだ」と記される。


てんかんは突然意識を失うことや前兆としての恍惚感や
神秘体験からギリシア・ローマ時代には「神聖な病気」と考えられおり
ヒポクラテスが脳の病と指摘したが、原因は長く不明であった。


1870年Jacksonが発作は脳の現象であることを
1929年にはBergerが脳の電気的異常であることを明らかにする。
原因は様々であるが、神経細胞のある集団が一斉に同期化することを特徴とする。
カエサルてんかんがあったとすれば原因は何であったのだろうか。


◆命びろい
中高年期のてんかん
外傷や脳血管障害の後遺症あるいは脳腫瘍などに続発するものが多い。
戦場で過ごすことの多かった彼の場合
刀槍や投石などによる戦傷が原因となっている可能性は否定できない。
ただローマ軍では総大将が陣頭に立つという習慣はなく
カエサルがそのような負傷を受ければ必ず記録に残っているはずである。
脳腫瘍や脳動脈硬化、微小な出血や梗塞の疑いもある。
協調的だった彼が晩年に性格が変わって独裁者となったのは
これらの器質的変化が根底にあった可能性も否定できないが
麻痺など神経学的症状の記録はない。


カエサルクレオパトラの息子カエサリオンにはてんかんの持病があったというし
(そのためにインドへの亡命途中砂漠で倒れ、オクタヴィアヌスの軍勢に殺害された)、
彼の一族であるローマ帝国第3代皇帝カリグラや
カリグラの従弟だったブリタニクスにも
子どもの頃から発作を繰り返していたという記録があるので
家族性(遺伝性)ではないかという説もある。


幼少期の発作の記録はないが
若年のカエサルは病弱だったので政敵スッラが殺害を思いとどまったという。
そうなると、てんかんに命を助けられたことになるのかもしれない。
(早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授
メディカル朝日2010年3月号掲載)

てんかんだった偉人たち