1995年1月17日(月)夜明け前
阪神大震災の時
狭いワンルームマンションに住んでいた。
その揺れ具合は「マッチョマン4人にベッドを持ち上げられて
思いっきり揺らされた感じ」と表現している。
不思議なことだが、僕はその前日に懐中電灯をいじっていて
どこに懐中電灯があるのかがわかっていたのですぐに使えた。
家具が全部倒れたので、その上を歩いて急いで外に出た。
地震の後、更にもう一発デカイのが来ると聞いたことがあるからだ。
(その時はなかった)
隣の部屋の女性は大丈夫かとドンドンとノックしてみた。
しばらくして女性は足を血まみれにして出てきた。
僕がノックしたせいで壊れた食器などで足を切ったのだ。
外は暗くてよくわからなかったが、都市ガスの臭いが充満し
危険な状態を察知、少し離れた青空駐車場にあるパジェロの中で暖をとった。
他の車はブロック塀が倒れて潰れていたが
パジェロは頑丈で傷が少しついただけだった。
やがて夜が明け、歩いてまわるうちに大災害であることがわかった。
阪急電車の高架は見事に倒壊、木造の古い家はペチャンコに潰れていて
中に人が埋もれているのは容易に想像できた。
近所の高級マンションの一室が燃え、消防車が来て消すのを見ていた。
他にも火の手が上がっているのが見えた。
しかし、その時、自分にとって最も大切なことは水と食料の確保だった。
冷蔵庫にはほとんど何も無いし、自動販売機はすべて倒れている。
コンビニは閉鎖して、金はあっても何も買えない。
飲料水も大切だが、水が出ないということは、ウ○コも流れないということだ。
あとで聞いた話だが、芦屋市役所などのトイレではウ○コが山盛りになっていたそうだ。
(誰が掃除したのかなー)
電話は最初のうちは通じたが何時間か後にはまったく通じなくなった。
パジェロのラジオで情報を収集できた。
僕はこの災害は関西全域に起こったものだと思ったが、違うということがわかった。
ならば滋賀県にある兄の家に逃げれば食糧問題やウ○コ問題が解決できる。
そして、大渋滞の中、国道171号線で何時間もかけてパジェロで滋賀県に逃げたのである。
その後、ペチャンコに潰れた木造の古い家々は撤去され、花が捧げられていた。
家を失った多くの人たちは仮設住宅が出来るまで学校の体育館などで暮らした。
そこには多くのホームレスが紛れ込んでいた。
彼らは新しい毛布をもらって、毎日ただでゴハンがもらえたのだ。
【point】
- 時間がたつほどに道路は大渋滞になる。古い橋は通行止になる。
- 警察は機能停止し、モノは盗まれる。全国から泥棒がやってくる。
- 水道、ガスはなかなか復帰しない。
- トイレは大量に水を消耗する。
- 棚やタンスは全部倒れることを想定しておく。
- 電気が止まるとエレベーターは動かなくなり、高層ビルは悲惨な状態になる。
- 人工島では液状化現象が起こる。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104100133.html
★水の確保が重要です。トイレは大量に水を消費します。
★警察機能はマヒします。泥棒が来るので気を付けましょう。
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