地中海の地図を見ると分かる
北アフリカ・カルタゴとローマ帝国との確執
橘玲の世界投資見聞録
http://diamond.jp/articles/-/50179
カルタゴは紀元前800年代にフェニキア人によって建設されたと伝えられている。
フェニキア人は古代オリエント(現在のレバノン周辺)の海洋民族で、
ギリシア人と東地中海の覇を競った。
古代ギリシアというとアテネやスパルタのようなポリスを思い浮かべるが、
クレタ島やキプロス島にギリシア神殿の遺跡が残るように、
紀元前1000年から紀元前500年にかけて、
海洋民族として地中海全域から黒海南岸までの広大な地域に交易拠点を築いた。
フェニキア人もそれに対抗して植民都市を建設したが、
そのうちの最大のものが北アフリカのカルタゴだった。
栄華を誇った古代ギリシアもペロポネソス戦争(紀元前431年〜紀元前404年)で荒廃し、
その中心はエーゲ海から南イタリアやシチリア島へと移っていった。
ギリシア最大の科学者・発明家であったアルキメデスは
紀元前287年にシチリア東岸のシラクサで生まれているが、
共和制ローマの時代にはギリシア文明はイタリアの南にあったのだ。