長寿危うい沖縄

長寿危うい沖縄(その1)
毎日新聞 2013年03月20日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130320ddm001040051000c.html



◆米軍影響、「肉食」に
「本土から来た学生が最も驚くのがみそ汁なんです」。
食文化研究の琉球大元教授、金城須美子さんから意外な名が飛び出した。
「具にランチョンミートが入っているからです。
女学生は最初いやがるけれど、卒業のころにはすっかり気に入って、土産にするほど」
ランチョンミートは、間にチーズをはさんでノリで巻く料理や、おにぎりにも使われる。
輸入販売する沖縄県浦添市富村商事はデンマーク王室から
「農業振興と輸出に貢献した」として73年と93年、2度にわたり表彰された。


食を変えた第1波は米軍だった。


サツマイモ、野菜、海藻、魚に年に何度かの豚肉。
質素な伝統食にいきなり米兵が携行する加工豚の缶詰、ランチョンミートが加わった。
60年代には基地の食堂が開放され、ドライブスルーのファストフードや
浜辺でステーキを焼くビーチパーティーが米国風の食を広めた。


「戦後8%ほどだった沖縄人の脂肪摂取は
60年から70年代前半にかけ一気に上昇した。
いまの50代、60代の世代の成長期に当たる」
琉球大医学研究科の等々力英美准教授(62)は言う。
60年代後半から緩やかに増えた本土に比べ
沖縄人の脂質摂取量は今も4ポイントも高い。
沖縄は肥満度も全国一、特にこの時代に育った世代に多い。


食の第2波は、72年の本土復帰だった。


60年代、復帰運動を阻む勢力がよく「イモハダシ」を語った。
「復帰すれば肉を食べられず、芋と裸足に戻るぞという脅しだった」
北谷町に暮らすカメラマンの今さんは振り返る。
もちろんそれは取り越し苦労。
代わりにすしや焼き肉、焼き魚など未知の味がやってきた。


「沖縄はもともと低食塩文化。かつお節を生かした汁ものが中心で
しょうゆをあまり使わなかったが、本土の影響でかなり味覚が変わった」。
沖縄タイムス元常務の大山さん(76)は
56年に上京して食べたしょうゆラーメンをこう語る。
「こんなまずい濃い味をよく食べられると思ったんです」


沖縄男性の平均寿命の順位は85年は都道府県別調査で1位だったが
2010年は30位、それまで1位だった女性も3位に落ちた。
伝統食を好む65歳以上は今も長寿だが、中高年世代
つまり、2度の波をもろに受けた世代の死亡率増加が効いている。
車を多用する米国的な習慣で運動不足になったことも一因だが、やはり食が大きい。

長寿危うい沖縄(その2)

http://mainichi.jp/feature/news/20130320ddm003040195000c.html


◆便利さ、地域の食壊す
◇「沖縄は本土の近未来」 食育で修復、遠い道
「食乱れて民滅ぶ。過去半世紀は激変したが
どの国も食生活の軸だけはぶれていない。日本だけが劇的に変わったんです」
世界数十カ国の食生活を調査してきた小泉武夫東京農大名誉教授は言う。


「古来、日本人は、野菜、果物、豆、海藻、穀物などを食べ
魚や肉、卵があればラッキーだった。
世界唯一のベジタリアン、日本人が肉を食べれば
消化酵素が不足しているため病気になる。遺伝子に逆らい生きているんです」


農林水産省によると、日本人1人当たりの肉の消費量は過去50年で約6倍に増えた。
「その結果、生活習慣病が増え、医療費は毎年1兆2000億円も増えている」
服部幸應服部学園理事長は語り「今の沖縄は本土の近未来」とみている。


服部さんは「1965〜85年の日本の食はバランスが良かった。
その前は栄養不足、その後は栄養過多だ。あの時代に戻ればいい」
と言うが、果たして、80年代以前に戻れるのか。