第98回薬剤師国家試験

合格率は79.10%で昨年より9ポイント低下
2013年の薬剤師国家試験の合格者を発表
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/di/trend/201303/529750.html

  2013 2012 2009 2008 2007 2006 2005 2004
受験者数 11,288 9,785 15,189 13,773 12,112 11,046 11,590 11,048
合格者数 8,929 8,641 11,300 10,487 9,154 8,202 9,781 8,653
合格率 79.1 88.3 74.4 76.1 75.6 74.3 84.4 78.3



厚生労働省は3月29日、薬剤師国家試験の合格発表を行った。
受験者は1万1288人で合格者は8929人。合格率は79.10%だった。
合格者数は昨年の8641人より288人増えたが
合格率は88.31%から9.21ポイント低下した。


今回は、薬学6年制課程修了者を対象とした2回目の国試だった。
6年制の卒業者の合格率は83.60%で、昨年より11.73ポイントも低下した。
昨年の6年制卒の受験者が8584人だったのに対して
今年は1万557人が受験しており、受験者数の増加が合格率の低下となって表れた格好だ。


大学別合格率では、上位から
名城大学の97.10%、岡山大学の95.35%、近畿大学の95.04%
最も低いのは第一薬科大学の29.25%だった。


第98回薬剤師国家試験の合格発表について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002yic4.html

次世代薬開発ベンチャー

産業革新機構、次世代薬開発ベンチャーに出資
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130330-OYT1T01864.htm?from=top


官民ファンドの産業革新機構
次世代の薬として期待される核酸医薬の開発を目指すベンチャー企業に出資する。


DNAの成分を使った最先端の新薬作りに投資するのは初めて。
米国などが開発にしのぎを削っているため
医薬産業を成長戦略の柱と位置づける安倍政権の政策を後押しする考えだ。


革新機構が出資するのは「アクアセラピューティクス」(福岡市)
という企業で4億5000万円を出資し、社外取締役も派遣する。
ア社は東京医科大、九州大、佐賀大と共同で開発を進める。
開発段階に応じて追加出資も検討する。


核酸医薬は、生物にとって重要な高分子である核酸の成分を合成した薬。
病気の原因となるたんぱく質の製造を、細胞内の「設計図」の段階で
止めることができるため、これまでにない働きで効く医薬品として注目されている。
現在は米国などで開発が先行しているため、国産技術の開発を急ぎ
創薬分野で日本の国際競争力を高めるため出資する。


(2013年3月31日04時30分 読売新聞)

「普天間切り離し」を撤回

沖縄米軍基地:嘉手納以南返還「普天間切り離し」を撤回
http://mainichi.jp/select/news/20130331k0000m010076000c.html



政府は沖縄の米軍基地問題をめぐり
嘉手納基地より南の5施設・区域の返還を
普天間飛行場の県内移設と切り離して進める方針を撤回し
近く発表する嘉手納以南の返還計画に
普天間飛行場の返還時期も明記する検討に入った。

鶏とお粥と蜂蜜ばかりを食べていたショパン

鶏とお粥と蜂蜜ばかりを食べていたショパン
Frédéric François Chopin(1810〜1849年)
早川智先生 (はやかわ・さとし)日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授
http://apital.asahi.com/article/history/2013011500003.html


ショパンは1810年2月22日、 ワルシャワ郊外にフランス人の父ニコラスと
ポーランドの下級貴族出身の母ジュステイナの間の唯一の男児として出生した。


父73歳、母77歳、次妹イザベラも70歳まで長命したが
姉ルドヴィカは48歳、末妹エミリアも「肺病」のため14歳で早世している。
ショパン本人も幼少期より虚弱体質で、16歳の時に最初の大病を経験
熱と咳、頭痛、頸部リンパ節の腫れが6カ月間続いたという。


21歳にして花の都パリに居を構え、当代一のピアニスト
天才作曲家としてデビューしたものの、25歳の時、高熱と喀血をみる。


結核が疑われ婚約も破談になるが、その後作家のジョルジュ・サンドと交際を始め
彼女の看病と温暖なパルママジョルカ島での転地療養によって
寛解と増悪を繰り返しながら比較的落ち着いた状態を保つ。


この間が芸術的にも最も安定し、数多くの名作が生み出された。
しかし性格の不一致からやがてサンドとは離別。
パリに戻ると夜毎のサロンコンサートを開き
さらに周囲の反対を押し切り英国へ演奏旅行に出かけるが
帰国後急速に呼吸不全が進行し、1849年10月17日パリで最期を迎えた。
享年39。


結核ではない?
ショパンは最も体調の良かった30歳頃でも
170cmの身長で45kgしか体重がなく
樽状の胸郭をしていて、わずかな労作でも疲れやすく
消化不良と慢性の下痢に悩まされていたという。


多くの伝記は彼の肺疾患を結核としている。
しかしパリに出て来る以前からすでに咳と血痰があり
20年以上の経過は有効な治療法のなかった当時としては長すぎる。
自分は心臓が悪いというショパンの手紙から
僧帽弁狭窄、三尖弁狭窄という仮説もあるが
労作時の呼吸困難は説明できても肺出血は説明できない。


反復する呼吸不全と体重減少、肺出血の原因として
オーストラリアの医師オシエは、嚢胞性線維症
cystic fibrosis (CF)に続発する気管支拡張症ではないかとする。
嚢胞性線維症は白人に多く、遺伝子保有者は白人人口の2〜4%に達し
患者も約2500人に1人の割合で見つかる。
子どもが冒されると、肺感染を繰り返し
抗生物質のなかった当時では思春期以前に亡くなるのが普通だった。


早世した妹エミリアはこれの重症型
39歳まで生きたショパンは軽症型ということになる。
さらにショパンには多くのガールフレンドがいたにもかかわらず
子どもがいない原因も、CFによる乏精子症のためではないかという。


CFでは膵の外分泌機能も障害され下痢をしやすいので
鶏とお粥と蜂蜜ばかり食べていたという食生活も説明可能になる。


◆遺伝子のしわざか受動喫煙
さて、生存に不利なはずの遺伝子が
集団に一定以上の頻度で存在するには、何らかの理由がある。
CFについては遺伝子のキャリアーが腸チフスに耐性であるという報告がある。
人口が都市に集中し衛生環境の悪かった当時の西洋では
チフスはしばしば流行し多くの死者を出した。
代々パリとワルシャワに住んでいたショパンの先祖は
チフスの洗礼を潜り抜けてきたのかもしれない。


またもう一つの鑑別診断として
α1アンチトリプシン欠損症(AATD)の可能性が挙げられている。
この疾患も常染色体劣性の遺伝疾患で、肺気腫と反復する気道感染を来す。
肺気腫の増悪因子の一つは喫煙である。
ショパン自身は非喫煙者だったが、サンド女史が愛煙家であり
いずれの背景があったとしても、かなりの受動喫煙を強いられたことは間違いない。