明和の大津波

沖縄・先島諸島津波 過去に繰り返し発生か
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150423/k10010058421000.html



今から240年余り前の江戸時代に、
津波で1万人以上が犠牲になったとされる沖縄県先島諸島では、
専門家による地質調査の結果、過去1800年ほどの間に
ほかにも3回の大津波が繰り返し発生し、このうち2回は
江戸時代とほぼ同じ程度の規模の大津波だったとみられることが分かりました。


鹿児島県沖から先島諸島沖の海底にのびる南西諸島海溝琉球海溝」の周辺では、
過去に津波を伴う大地震が繰り返し起きていて、
今から244年前の1771年4月24日に起きた「明和大津波」では、
先島諸島で最大で30メートル前後の高さまで津波が到達し、
1万人以上が犠牲になったとされています。
それ以前にも津波が繰り返し起きていたとみられていますが、
規模など詳しい実態は分かっていませんでした。


静岡大学大学院の北村晃寿教授らの研究グループは
沖縄県石垣島の内陸で、長さおよそ140メートルにわたる掘削調査を行い、
津波によって運ばれた海底の砂や貝などの堆積物を詳しく調べました。
その結果、調査地点からは明和大津波を含め、
津波でできたとみられる3つの地層が見つかり、
海岸から200メートル余り離れた地層からは、別の津波で運ばれたと考えられる、
直径2メートル前後のさんごなどでできた岩も見つかったということです。


研究グループによりますと、
地層が見つかった標高や岩や貝の年代測定などから、
明和大津波以前にも、おおむね300年から700年程度の間隔で3回の大津波が発生し、
このうち2回は明和大津波とほぼ同じ程度の規模だったとみられるとしています。


琉球海溝付近で起きる津波を伴う大地震については、
これまで詳しい調査や研究が進んでおらず、
調査を行った静岡大学大学院の北村教授は
「明和の大津波からすでに200年以上たっている。
今後、さらに調査を進めて地元の防災対策の指針につなげていきたい」と話しています。





「明和大津波」とは
今から244年前の1771年、明和8年4月24日に発生した「明和大津波」では、
沖縄県先島諸島を中心に大津波が押しよせました。
当時の行政庁が琉球の王府に提出した「大波之時各村之形行書」には、
「黒雲のような大波が村々を3度に渡って寄せあがった」と記されていて、
これまでの調査で、
石垣島では最大で標高30メートル前後の高さにまで津波が達したとみられています。


残された文献からこの大津波で、
八重山諸島では9000人以上、
宮古諸島では2000人以上が犠牲となったとされ、
石垣島では住民の半数以上が死亡したとみられています。
津波琉球海溝付近の海底で起きた地震によって発生したと考えられ、
石垣島では津波によって打ち上げられたさんごでできた岩の調査などから、
過去およそ2500年の間に8回の津波が襲った可能性が指摘されていますが、
詳しい規模やメカニズムについてはよく分かっていないということです。


琉球海溝」過去の地震
南西諸島海溝琉球海溝」では、
フィリピン海プレートが陸側のプレートの下に沈み込んでいて、
周辺では過去に津波を伴う地震が繰り返し起きています。


このうち、明治44年には
奄美大島や喜界島周辺を震源とするマグニチュード8程度の大地震が発生し、
奄美大島や喜界島で震度6沖縄本島震度5の揺れがあったと推定され、
各地で住宅が倒壊し、崖崩れが起きるなどしたほか、沿岸に津波も押し寄せて、
合わせて12人が死亡しました。
また、昭和41年に発生した台湾の東方沖を震源とするマグニチュード7.8の大地震では、
与那国島で住宅や石垣が倒壊して、2人が死亡しました。