Vivaldi

ぜんそくで苦しんだ音楽家ヴィヴァルディ
Antonio Vivaldi(1678〜1741年)
http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201206100067.html


気管支喘息はエジプトのエーベルス・パピルス
ギリシア時代のヒポクラテスの著書、中国古代の『黄帝内経』にも記載された疾患だが
20世紀後半になって気道の炎症と反応性の亢進という病態が明らかになってきた。
18世紀当代きっての人気作曲家ながら、異郷で生を終えた作曲家ヴィヴァルディもその一人だ。


ヴィヴァルディは1678年ヴェネチア生まれ。
中世以来、地中海貿易で莫大な富を蓄えていた地だが
長引くオスマントルコとの戦争に加え、16世紀の新大陸航路の発見により
経済的には不況に陥っていた。
それでも芸術文化的にはヨーロッパ第一の先進国で、優れた音楽家や画家が輩出している。


ヴィヴァルディの父は床屋であったが、優れたアマチュア楽家でもあった。
聖マルコ大聖堂オーケストラのヴァイオリン奏者を務めていた父から
音楽の手ほどきを受けたヴィヴァルディは、カトリック司祭としての修業の傍ら
音楽を修め、25歳でピエタ養育院のヴァイオリン教師の職を得た。

毎週開かれる公開演奏で新進作曲家「赤毛の司祭」の名はヴェネチア中に広まり
さらに出版譜によりイタリア各都市やヨーロッパ中に名声が広まった。
こうなると世の常で、上司である養育院長、ヴェネチア司教の不興を買うことになる。
加えて若い頃から呼吸器の持病に悩まされて、中年以降、特に悪化した。


彼は手紙に書いている。
「……諸般の理由で家にいることが多いのですが、たまに出かけるときは
ゴンドラかボートを依頼します。胸が苦しくて歩くことができないのです。
胸が強く締め付けられて息ができないことがあります……」


この手紙だけでは、肺気腫や肺線維症、結核など他の慢性呼吸不全も否定できない。
ただ、症状の強いときとそうでない時があり、やはり気管支喘息の可能性が高い。


一時期はヴェネチア一の作曲家として名声を博したが
1737年には教会側から非宗教的なオペラの作曲を禁じられる。
こうなるとヴェネチアにいても仕方がないので、1740年、病身をおしてウィーンに赴く。
作品を絶賛した皇帝カール6世を頼っての旅であったが、到着まもなく皇帝は急死。
親しい友人も経済的裏付けもないまま、彼は1741年7月28日に喘息発作で亡くなり
半世紀後にモーツァルトも葬られた貧民用の共同墓地に埋葬された。


早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授
メディカル朝日2011年7月号掲載