ステロイド依存性ネフローゼ症候群

ステロイド依存性ネフローゼ症候群
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Question

4歳の孫についての質問です。
ステロイド依存性ネフローゼ症候群」と診断されました。
腎生検の結果は「将来的に透析が必要となる状態ではない」とのことでした。
しかし、その後も尿たんぱくの数値は一進一退。
最近、医師から「3種類の薬を試したがいずれも再発しているので重症気味。
保険適応外の薬を使うことになるかもしれない」と言われました。
今後、治療の選択肢として、どんなものがあるのでしょうか。
将来、透析生活になる可能性はあるのでしょうか。




Answer ステロイドなどは年齢とともに効きやすくなることも

ネフローゼ症候群とは
(1)多量のたんぱくが尿中に喪失する
(2)それに伴って低たんぱく血症が現れる、腎糸球体の病気の総称です。
浮腫、高脂血症を認めれば、その診断は確実です。
約90%は原因不明の特発性で
発病年齢で多いのは3〜6歳、性別は男児に多く発症します。


腎生検による組織像は85%が「微小変化型」です。
微小変化とは、血尿はないかあっても軽度で、多量の尿たんぱくが現れ
糸球体病変は軽微で腎機能の長期予後は良好です。
質問者の「将来的に透析が必要となる状態ではない」とは
この微小変化型のことと思われます。


小児のネフローゼ症候群の初発時の治療はプレドニゾロンを60mg/m²/日
(1日量を3回に分けて)を連続4週間
その後、40mg/m²/日の隔日投与を4週間行います。
この間に90%以上でたんぱくが消失しますが
これを「ステロイド感受性ネフローゼ症候群」と呼びます。


ところが、この初期治療後80%が再発し
そのうち約20%がお孫さんのように、「ステロイド依存性」になります。
これは、ステロイド治療中あるいはステロイド中止2週間以内に2回連続再発し
ステロイドを中止できない場合のことです。


症状は、低たんぱく血症があれば浮腫を認めます。
また、ステロイドの副作用として肥満、満月様顔貌
低身長、骨粗しょう症白内障などが発現しやすくなります。


このステロイド依存性に対して
「小児特発性ネフローゼ薬物治療ガイドライン」では
以下の3種類の免疫抑制薬が治療薬として示しています。


1)シクロホスファミド(エンドキサン)
骨髄抑制、発がん性、性腺障害などの副作用を防止するために投与期間は8〜12週です。


2)シクロスポリン(ネオーラル)
ステロイド依存性の約80%に有効とされていますが
投与を中止すると再発の可能性が非常に高く
今度はシクロスポリン依存性となることがあります。
さらに問題なのは副作用として腎毒性や神経毒性がみられることです。
シクロスポリン腎毒性(慢性腎障害)は、尿検査や血液検査では診断が不可能で
投与開始と投与終了時に腎生検が必要です。


3)ミゾリビン(プレディニン)
この薬の利点は副作用が非常に少なく高尿酸血症を認めるのみで
多くは中止や減量することなく継続投与が可能です。


質問者の「3種類の薬を試した」とありますが、上記の薬のことと思われます。
ところがお孫さんは3種類の薬とも効果が不十分で
医師から「保険外の薬を使うことになるかもしれない」と言われています。
このようにステロイド感受性がありながら、複数の免疫抑制薬投与下でも
ステロイド依存性のままステロイドから離脱できない場合の治療の開発が今後の課題です。


これらの治療が難しい例の治療薬の選択肢としてリツキシマブがあげられます。
リツキシマブとは、免疫の働きによって体内で作られる抗体を治療薬として
応用する治療薬(抗体医薬と呼ばれます)です。
ステロイド依存性ネフローゼ症候群に使用して、尿たんぱくが消失し
ステロイドと免疫抑制薬の減量または離脱が可能となったとの症例報告や
小規模の研究結果がみられます。


このようにリツキシマブは小児期発症難治性ネフローゼ症候群に対する
新しい有効な治療薬として期待されています。
わが国では、その有効性、安全性についての治験が進行中ですが
まだ、試験的な段階です。保険適応薬として承認されるのは、まだまだ先のことと思われます。


最後に、将来透析生活になる可能性についてですが、先述しましたように
腎組織像が微小変化型であれば一般的に腎機能の長期予後は悪くありません。
しかし、ステロイドと免疫抑制薬を含む治療を行っても
長期に尿たんぱくが持続すれば腎不全に進行することもあります。
ステロイドや免疫抑制薬に対する反応性は年齢とともに経過中好転することもあります。
主治医の先生とよく相談されて根気強く治療を続けてください。


津留徳 つるのぼるクリニック院長(福岡市中央区
(2011年6月3日 読売新聞)